灰色に染められていた空が、蒼い姿を取り戻した、翌日。

「おい、忍足。昨日の美術サボったかわりに、少しでもいいから描いて提出しろって 教師からのご伝達だぜ」

朝のHR後に現れた跡部が言ったセリフに、ほんの少し気が遠くなった。







この指先に続くもの。







一時間目の授業中。

まったくもって授業に身の入らずにいた俺は持っていたシャーペンをクルリと一回転させた所で、 そういえば、と思い出す。
あの初老の美術教師は見た目に反してなかなかに真面目な人間だった。
どの生徒に対しても甘さのない平等な態度をとっていたが、どうやら教師達が幾分か怖気づく跡部に対してもそれは 変わらなかったらしい。
しかも自分にではなく、跡部本人にそれを言ったのだからその勇気はむしろ評価したい。
とは、思うが。

(だからってなぁ・・・・・)

昨日の今日。
跡部から逃げるような態度をとっていた俺に、跡部が行動を起こしてくれたおかげで、俺はあの日から 身勝手に抱えていた恐怖を感じなくなった。
跡部の瞳を見ることもできるようになったし、戸惑いもたしかに残るが以前と同じように笑い合う ようにもなれた。
今朝だって普通に挨拶を交わせたし、俺は作り笑いではなく自然と笑えていたし。
何より、跡部も笑ってくれていたから、それがひどく心地良く安心できて。
けれど「今日中に提出しろっつーことらしいから、放課後美術室で描いちまおうぜ」 と一方的に答えを出し、教室を去っていった跡部に「ちょお待てや」と立ち上がったまま 声をかけることもできず、どうしようもなくなって自席に座ってしまった自分を俺は心底呆れる。


「はぁ・・・・・」

思わず漏らしたため息に、てっきり数学の公式に苦戦していると勘違いした新米教師が「どこが分からない んだ?」なんて、見当違いな言葉を言ってくるものだから俺はまたため息をついてしまいそうになった。
悪いが、数学は俺の最上級得意科目だ。
大丈夫です、と適当に流し、教師が俺の席から離れたのを確認すると、俺は窓から専門教科棟がある 方向をそっと見つめた。
途端、胸の奥で軋んだ音が響いた気がする。


俺はその熱を、まだ整理できていないのだ。




立ち入り禁止の屋上。
逃げ込んでいたのは自分。
見つけたのは、跡部。
捕らえたのも、跡部。
差し出された手。差し伸べた手。
捕まれ、抱きとめられた体。

「隣にいろ」と囁かれ、受け入れた、自分。

でも、臆病すぎる俺はその言葉の意味を聞けず。
――――例え、理由を予測できたとしても、それはあまりにも自分に都合の良すぎる解釈で。
ただ俺をあの時のように優しく抱きしめた跡部に、「天才」としてではなく、「俺」の望む言葉を 伝えた。
それだけで、精一杯だった。

「跡部・・・・」
「なんだよ?」
「その・・・・・も、離してくれへん?俺、大丈夫やし」
「あぁん?嫌なのかよ」
「嫌なワケちゃうけど・・・・・」
「落ち着くんだよこうしてると・・・お前は?」
「・・・ん、そやね」


心臓がひたすらに、際限のないほどに高鳴って。
頭の隅がジィンと痺れだし、喉を軽く乾き始めて。
あぁ、言ってしまいたい、と思った。
押し込め続けた思いと言葉を、ぶつけてしまいたい。
跡部が受け止めてくれるか否かではなく、ただ、伝えたいと。
その時は、本気でそう思った。


・・・・・けれど、できなかった。



「忍足」

だって分かってしまった。
抱きしめられる腕に、感じる心音に、呼吸に、その存在すべてに。

「俺の隣に」

気づいてしまった。
囁かれた四度目の言葉と同時に。

「あぁ・・・・分かっとる」

今まで俺は、何者も本気で欲していたことなどなかったのだと。
欲しがることの恐ろしさを、初めて、感じた。










時とは過ぎるのが早いもので、気づけば放課後を向かえていた。
今日の授業は結局集中できずにすべて終わってしまったし、昼休みの食事中はあまり食が進まない様子の 俺に、岳斗がまるで母親のように「もっと食えよ!」と自分のおかずを差し出してきたり。
・・・・残念ながら、一向に食のペーズは変わらなかったが。
帰りのHRも恙無く終了し、生徒達はそれぞれ自分達の向かうべき場所へと動き始める。
若干の重い気分は残っているが、跡部を待たせる訳にも行かない。
よし、と気持ちを奮い立たせ、カバンに手を伸ばしたその時。

「おい忍足、行くぜ」

扉から入ってきた跡部に、クラスの至る所から女子の甲高い悲鳴が上がる。
それに見向きもせず、俺の方へと一直線にやってきた跡部が俺の顔を見た途端、小さく笑った。

「な、なんやの?」

妙に気恥ずかしくて、俺からそう問いただすと、跡部はまた笑う。

「岳斗がお前の元気がないとか言ってやがったからな・・・・でも、ま、安心した」

「・・・だから、なんやの?」

ちょっと待て、岳斗いつ跡部に言ったねんとか、そこも聞きたい所だったが、それは敢えて自らの胸に 留めておく。
正直、跡部が俺を心配していた、という言葉の方が気になってたまらなくて。ひどく、嬉しくて。

「・・・さぁな」

なのに答えはくれず、ただ微笑み、かわりに俺の好きなその手が優雅な動作で近づいてきた。
普段なら俺の方が身長が高いため自然と跡部を見下ろす形になっているのだが、今回は俺が席に座っている ため跡部に見下ろされるという、何とも貴重な体験をしている気分になった。
俺の顎のラインをスッ・・・・・と長い指先が柔らかくなぞり、そのあとにゆっくりと捕まれ、軽く持ち上げられる。

「どうしてだと思う?」

気のせいかその言葉はとても近くで・・・むしろ耳元で発せられた気がして。
俺は情けなくも体が一瞬小さく震え、どこかからまた女子の悲鳴が上がった気がする。

「は、離してや跡部ッ」

現実に帰った俺は自分の置かれている現状を把握し、恥ずかしさは頂点に達し、跡部の視線から目を背けた。
ククッと楽しげに笑う跡部の声が耳に入り、余計に羞恥心は膨れ上がるばかりだ。

「ほら忍足、拗ねてねぇで美術室行くぞ」

「・・・・・拗ねてなんかないわ」

「そうかよ、じゃあ行こうぜ」

そう言われ、直後、自分の手に感じた暖かさと感触は。

「このまま手繋いでいくか?」

一瞬だけ繋がった手と手の暖かさに、ゆっくりと振りほどくと共に自ら放った言葉とは裏腹に。
本当は、離したく等無かった。

「・・・・アホ、自分で行けるわ」









てっきり本館(普通教室などが集まっている棟)で行なうと思っていたのだが、着いたのは特別教室棟の美術室だった。
たしかにこちらの方が専門的な設備や画材も揃ってはいるが、何分今回出された課題はデッサンだけだ。
ここの備品を特別使うような必要は一切ないはずなのだが。
それに。

「跡部、ここ、美術部が使用するんやないの?」

特別教室棟は、通常、文化部が放課後に使用している。
それが頭の隅にあったので跡部に質問したのだが、今日は美術部は休みだ、とデッサン用の台と用紙を渡されながら返答があった。

「そうなん?」

「あぁ、展覧会が終わったばかりとかでしばらく休みなんだとよ」

だからといってどうしてわざわざここに、と気にはなったが、まぁいいかと自分の中で消化した。
本館では放課後でも人気が多いし、跡部はどうしていたって目立つ特異性があるから、ここの方がきっと落ち着いて描けるのだろう。
・・・・だがしかし、他の棟と比べて格段に利用者数が少ない、この棟独特の静か過ぎる空間は少々痛く感じる。
特にこの美術室のある2階は、美術室の他は準備室や陶芸室といった美術部が使用するものと、今は使われていない空き室が数室あるばかりだ。
多分、今、この階にいるのは俺たちだけなのだろう。 あるのは、跡部と俺。二人という存在と、呼吸くらいだ。


「さて」

声の発せられた方を向けば、窓辺に椅子を向かい合わせに二つ並べた跡部が、手前の椅子へと座った所だった。

「ほら、お前はそっちに座れ」

「あぁ」

俺は促されるがまま、窓に背を向ける形で席に座る。顔を上げれば、すぐさま跡部と視線が合った。
心臓が、ひどく、煩く感じる。

「・・・あ、跡部・・・・・どっちが先にモデルするん?」

誤魔化すように咄嗟に出た声は、少し情けなくて。
& lt;br> 「・・・・・そうだな。俺が先に描く・・・・・それでいいか?」

「構へんよ。普通に座ってればええんやろ?」

正直、少しホッとした。
ここで俺が先に描けと言われても、今の心情ではうまく手を動かせるか不安がある。
先が後かの違いだけなのだが、時間が経てば、この心臓も幾分かは落ち着くだろう。
と、思った俺に。


「あぁ。だが、俺のこと、ちゃんと見てろよ」


口元に小さな笑みを浮かべ、視線をしっかりと合わせたまま放たれた言葉に、先ほどの自分の考えは無意味だったと思い知らされる。
この男から目を逸らすことは許されない。
きっとこの男が用紙に視線を落としている瞬間でさえ、それは許されないのだろう。
落ち着くことなんてできやしない。跡部の前では、何もかもがコントロールを失ってしまう。
そしてそれに抗うことなど、俺はできないし、きっと望んでいないのだ。
・・・・心臓が、とても、煩い。


(綺麗な、男・・・・・・やんなぁ)


言われるがまま、俺は跡部を見続けている。いや、見惚れている・・・・・のかもしれない。
用紙から目を上げる瞬間の跡部の顔は、普段とも、テニスをしてる瞬間とも、どれとも違う。
以前見たことのあるような、初めて見るような、真剣で、優しい眼をしている気がする。
俺の背後の窓から指す夕陽に薄い色素の髪は染められ輝き、秀麗な輪郭は光を帯びてさらに美しく彩られている。
こんな風に長い時間、ましてやこんなに近距離で。跡部だけを見続けている機会なんて、今まで一度もなかった。

何もかもが。
本当に、綺麗な男だ。
後にも先にもこれ以上に美しいと思える人間なんて、俺は出会えないと思う。
この真っ直ぐ過ぎる、気高い男よりも、綺麗な人間なんて。
きっと、この世に。


(・・・何考えてんのや俺・・・・・・)


自分の考えていたことに羞恥心がまたせり上がってくる。


「おい、何目逸らしてやがる」

「え・・・・・?」

ほんの一瞬、時間にして、ものの数秒。
自分自身ほとんど無意識に逸らした視線に、跡部が、気づいた。
その瞬間に跡部がたまたま顔を上げたのか、それとも。

(跡部も、ずっと、見てる?)

視線だけじゃなく、感覚で。
そう考えたら、心臓が止まりそうだった。

「ちゃんと俺の方見てろ。一秒も、視線を逸らすな」

「・・・・もう、俺に拒否権はないん?」

誤魔化すように小さく笑えば、跡部は予想外に真剣な、けれどやはり優しい瞳で告げる。

「拒否権はあるさ。逃げたいなら逃げればいい。・・・・・でも、少しでも戸惑うなら、追いかけて追いかけて、追い詰めて、捕まえるぜ?」

紡がれた言葉に、心臓が一際高くなり、止まる。そんな錯覚を覚えた。
なぜなら、その言葉の意図するところは決して今の状況だけでは、きっとないから。
このあやふや過ぎる俺たちの距離感に対しての、言葉、かもしれない。

どう、返したらいいのだろうか。
分からない。正しい答えなんて、見出せもしない。

・・・・・・いや。

分かっているはずだ。
跡部が望んでいるはずの言葉は。

だが、それを伝える勇気が俺には無い。
今までこの想いを叶えたい、などと思ったことは一度だってなかった。
叶うはずがないと深く理解していたし、何より跡部の隣に立つことが許される存在でいたかった。
だから、捨て去るという結末以外に、この想いが行き着く先なんてない、そう思っていた。


あの瞬間まで。














「俺の隣にいろ」

抱きしめられ、囁かれた、4度目の言葉。
その言葉を跡部から受けた時、たまらない歓喜と、底知れぬ恐怖感が、俺を襲った。
跡部に必要とされているということ。
こうして体温を感じとれる程近くに存在できること。
ひどく、心が騒いで。
けれど同時に。

想いを伝えてしまいたい、と、望んだ、たしかにその瞬間。
足元から這い上がる恐怖は、敗北したあの瞬間とどちらが大きかっただろうか。

愚か過ぎる俺は、その事実に気づくことすらこんなにも遅くなってしまった。
思い出す過去の自分。
たしかにその中で欲しがったものもいくつかあった。
俺が手を伸ばすよりも先に相手から来てくれていたから、俺は受け入れるだけだったが、「手に入れたい」とたしかに望んだ・・・・・望んでいたのだと思っていたもの。
その時はそう感じていたはずだったものなのに、とても、とても小さな存在に思えて。
そして、跡部への想いばかりが、とても、怖いくらいに、とても大きく感じて。

そして気づいた。

今まで俺は何者も本気で欲したことなどがなかった。
奥底からせり上がってくる時に衝動的とすら思えるこの感情を、跡部以外に感じたことなんて、一度だってなかったはずだ。
俺が本気で欲しいと望んだ、最初の存在が。

(跡部・・・・・・やなんて・・・・・)

もしかしたら、なんて浅はかな考えを持ったと同時に、でも受け入れられなかったら?と模索した俺自身は、跡部の体温がこんなにも 暖かいというのに、ほんの少し、震えそうになってしまった。
諦めていれば、失うことのリスクはゼロになる。当然、得る確立も同じ数値ではあるが。
けれど、得たい、勇気を出せば得られるかもしれない、と欲を出した瞬間に、恐怖はたしかな形を持って俺を襲ったのだ。
俺がどれだけ跡部を想っていて。
どれだけ跡部を求めていて。
どれだけ跡部の傍にいれることを望んでいるのかと、感じれば感じ取るだけ、理解すれば理解した分だけ。
欲しがることの恐ろしさを、知ってしまった。


「忍足・・・・・?」


何も返さずにいる俺に、跡部が俺の名を呼ぶ。
苦しいのに、本当は伝えてしまいたいのに。怖くて、臆病すぎる自分が嫌でたらなくなるのに。

その声だけで、俺は幸せに浸れる。

けれど、もし。もしも。
今俺が跡部を求めて、拒絶され、名を呼ばれることすらなくなってしまったら。


「なんでもないんよ、跡部」


返した声が震えていなかったことが唯一の救いだった。
頭を過ぎった先程の考えは、想いに強い抑制をかけ、その言葉が声になることはなかった。
< BR>代わりに出たのは、結局、誤魔化しの言葉だけ。

屋上で跡部に抱きしめられた時と同じだ。決意は恐怖に負け、あの時から喉の奥に突き刺さったまま。
腹の奥底に戻ることも、口から吐き出すこともできずに、痛みだけをシクシクと与えてくれる。



「・・・・そうか」


跡部は俺の言葉を素直に受け止めたのか、追求するのをただしなかっただけなのか、そう一言だけ返すと用紙に視線を落とし、 手を動かし始めた。
室内にはまた静寂が戻り、俺の心臓の速度は急速に落ち着いていく。代わりに痛みだけが加速していった。
これでいい、はずだ。きっと。
言葉さえ声にしなければ、跡部の隣に立てる。少なくとも、それは許されるはずだ。
だから、これ以上望んではいけない。


よかったと自身に言い聞かせる愚かさに、吐き気がする。泣きたくなる。

数分前と何も変わらない跡部の姿を見ていると自分の選択は間違っていなかったのだと、痛みと共に深くそう思えてくる。

あぁ、本当に自分は愚かしい。

何を、期待していた?
跡部からどんな言葉を待っていた?

突きつけられた自身の身勝手さからこそ、逃げ出してしまいたい。
きっと跡部が望んでいた言葉は、俺の言葉とは同語ではなかったのだ。
ただの、俺の思い上がりに他ならなかったということ。
跡部にとって俺は、友人として、少なからず大切に思われている。
屋上での言葉も、先ほどの問いかけも、『友人』に宛てたもの。





なんて幸せなことなのだろう。
だってほら。俺はこれからも自分を偽りさえすれば、跡部の隣にいれる。
許される。


欺くことへの良心の痛みか、それとも、本当は叫んでしまいたいと感情が叫んでいるのか。
胸の内側が、喉の奥底が。





――――――痛い、痛いわ・・・・・・・・跡部。











時なんて、動いているのか、止まっているのかさえ、分からずにいた。


「おい忍足、できたぜ」


室内に唯一聞こえていた音が止まり、跡部が再び俺を呼んだ。
部屋の片隅にかけられた時計を確認すると、描き始めてから30分程経過していた。

「もうできたん?早いなぁ跡部」

俺は笑う。いつも通りに、慣れ親しんだ微笑を浮かべる。
痛みは加速するけれど、それに耐えて、笑う。


「見るか?」

「なん?自信あるん?ヘタやったら許さへんで」

崩さない、この笑みだけは。
知られてはいけない、この想いだけは。
深く、誓う。

でも、差し出された絵を見た瞬間に、笑顔も、思考も、凍りついたのが自分でも理解できた。
思わず立ち上がった俺に、椅子が派手な音を立てて倒れた。


「な・・・・んで・・・・・・」



描かれているのは、たしかに自分。
幾分か綺麗に描き過ぎではないかと思うそれは、線のタッチも、陰影の付け方も、予想以上にとても綺麗だったけれど。


「こんなもん描くん・・・・・ッ?!」



絵の俺は、泣いていた。

















苛立ちが頭を支配して、咄嗟に声をあげてしまったことをすぐに後悔した。
もちろんこの30分間、俺は涙など流していない。
跡部が描いたのは、過去の俺だ。どうしてそんなものを描いたのか、跡部の意図はもちろん分からないけれど。
笑って済ませてしまえばよかったのに、グラついていた俺の思考はその絵にひどく揺さぶられ、跡部の瞳に泣いていた俺はこう映って いたのだと思うと、恥ずかしくて、情けなくて。
声が、言葉が、出せない。



「・・・・今回のテーマだとよ」

「・・・・・・・え?」

「相手の一番綺麗だと思う表情を描く・・・・・・・・お前はサボってたから知らなかっただろうが」

「だからって・・・・・!なんで泣いてる俺なんか・・・・・・・・・・・・・ッ!!」


跡部から告げられるその言葉に、苛立ちと不安が増長していく。
こんな瞬間に、見たくなかった。
想いを押さえつけている今の俺に、どうして想いが溢れ出している瞬間の俺の姿を。泣いている俺の顔を見なければいけない。
跡部はただの気まぐれで描いたのだろうか。いや、そんなことをする男ではない。
けれどどんな理由があったにせよ、不愉快な行為であることには変わりない。


「お前はいつもそうだな」


跡部が立ち上がり、その椅子の上に静かに絵を置いた。
夕陽を受けて、泣いている絵の俺は、試合後のあの時を思い起こさせる。


「そうやって欲しがるばかりで、受け入れるばかりで、自分から手を伸ばそうともしない」


一歩、跡部が俺に近づく。
ドク、と一つ心臓が大きく跳ね上がった。
確信を突かれたからか、俺を射抜く跡部の瞳が怖いからかは分からない。



「どうしてそうしている?何がそんなに怖い?」


また一歩、進む。縮まる距離。


「何のことや?・・・・俺は、何も怖がってなんか・・・・・」


嘘だ。

怖いわ、怖くてたまらないに決まってる。
でも、そんな俺じゃアンタの隣にはいられないから。


「・・・・どうして、そんな風に笑う?」


「いつもの俺と、同じやと思うけど」


これ以上入ってきてほしくない。
こうして笑うことが、今の俺の精一杯の強さだから。
これ以上。


「忍足」


「なん?」


お願い、これ以上。


「俺が隣にいてほしいと望むのは、お前であって、繕われたお前じゃない。」

「そんな風に、笑うなよ」

「痛ぇって、言っただろ?」

「逃がさねぇって、言っただろ?」

もう、これ以上。






「―――――俺から、逃げるな」







どうして、諦めさせてくれない?





















目の前にある、絶対的な瞳。
逸らさずに、俺だけを射抜く双方の蒼。
逃げられるはずもない。ここで、逃げていい、はずがない。


ずっと俺を縛っていた見えない鎖がカシャリと鳴った気がした。




「・・・こわ、い、に決まってる・・・・やろ・・・・・・ッ」

一度言葉を吐き出したら、もう止まらない。

「欲しくて、すごく、欲しくて」

伝えたくて、叫びたくて。

「手を伸ばされて、掴むのだけで精一杯で」

「自分から手を伸ばして振り払われたら、って思たら」

「どうしたらいいか、分からへん・・・・・・!」


でも。
どうやって伝えたらいい?
幾億という言葉の中から、どれか一つ、貴方に捧げるそれが見つからない。





「どうしたら伝わるかなんて・・・・・・・ッ!!」






「簡単だろうが」







跡部が俺の腕を掴む。
そしてそのまま、自分の頬へと触れさせる。




「声にしろよ。叫べよ。そうしたらくれてやる。お前の望むもの、俺が全力で叶えてみせる」




初めて触れた跡部の肌は、少し、熱くて。
どうしてだかたまらなくなって、痛みがジンジンと大きく騒ぎ出して。




「言えよ、侑士」






鎖が、千切れた。
言葉が、溢れる。


















「・・・・・き・・・・・・・・・」



とても単純で、今の俺のすべての言葉を貴方に。



「聞こえねぇよ」

「好きや・・・・・・」

「もっと」

「好き、好きや跡部・・・・・・」

「ぜんぜん足りねぇ」

「・・・好き、跡部が・・・・・好き、やから・・・・・・!跡部が欲しい・・・・・・ッ!」





どうか、そのまま・・・・・・優しい蒼のまま。





「上等」







『抱きしめて欲しい』と願った通り、極上の笑みと共に、その心音に包まれ。

そして。


















「俺も、好きだ」

















< BR>




囁かれた言葉に、窓から見える夕陽はぼやけて、滲む。
両手を跡部の背に回し、強く、縋りついて。






「好きや・・・・・・跡部」






精一杯の想いを込めて。
何度も何度も、言葉を捧げた。


































「なぁ跡部・・・・・なんであの時、俺のこと抱きしめたん?」

「今更聞くのかよそれ・・・・・・んなの」


背中に回す指先に力を入れる。これは、幻じゃない。











「お前は独りじゃねぇって、伝えたかったんだ」




























いつだってこの手は。この指先は。

ココへ繋がっていた。






 END.










はい、ようやくくっつきましたねこの二人。
どうしてウチのおっしはこんなに臆病なんでしょう・・・・・・って私のせいですが(笑)
初めて何かを本気で欲した時は、個人的には、嬉しさよりも、恐怖の方が断然強いと思うんです。
特に忍足に関しては、それがより強く感じるんじゃないかと・・・・・・多分、失うことも怖いし、手に入れることも怖くて。
一度や二度は逃げようとすると思います。
でもやっぱり逃げられないし、跡部様は逃がさないし(忍足が望んでいるのだと分かっているから)
よかったね忍足。望んで望まれて・・・・・くっついて万歳!
でもまだキスもしていない二人。ピュアラブ(黙れ)

一区切りついたようでついてません。
次の話で区切りをつけたいなぁ・・・・・(願望)

こんなものを読んで頂いて、ありがとうございました。

2005年9月10日